あちらこちらで講中のつきあいが解散をしている
広島県史によると、古くは世羅町目谷という集落で
は10軒で目谷組や田丸屋組、井上組、松田屋組を
つくり、田植え・田の草取り・稲刈りその他日常の
仕事を助け合い、血縁関係はなく葬式・屋根ふきな
どの時には多くの人の協力が必要なため、組が3つ
か4つ集まって講をつくり助け合っていたようであ
る。
 講中は浄土真宗の法義を聴聞する信仰集団で毎月
「茶講」の寄り合いを行い死人が出る葬式講、家普
請の普請講(ふしん=互助活動・相互扶助)、この
ほか農作業の共助共援的な田植組など、地域に密着
した相互扶助の地域団体として、古来から長く存続
してきている。
 しかし、現在は、葬式は家族葬、田植え、稲刈り
などは法人化となり、これまでの講中、つきあいは
解散してきている。
 近隣では、正月後に講中申合せ定書の話し合いが
持たれる予定である。